Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

   “秋深まりて…”
 


実は小さな島国だそうだが、
それでも南北東西に、相当な距離と広さ持つ、日之本の国。
北国には早々と冬が訪のうているらしく、
領から運ばれて来る荷の中には、
次のものは春までお預け、里からの出入りもままなりませぬ故という、
しばしの暇乞いを付け足されている物もあるくらい。
ここいら、畿内でも、
やっとの秋が、だのに、
気の早いことにはそろそろ立ち去ろうとしている気配が濃厚で。

 「…はや?」

そういえば、
稲を刈り取られた田圃はその縁の畦道もどこか乾いた印象が強いし、
畑からも緑や大きい菜っ葉は ずんと減った。
殊に、高さのあった作物が減り、
代わりに地べたへ張り付いてるようなものが
何だか増えたよな気がしますと、
書生の瀬那くんが告げれば、

 「よく見ておるの。」

広間の炭櫃に、今年初の火を入れておいでだったお館様、
白い手の先、細い指で操っていた火箸を止め、

 「これからは、育つ種も限られての、
  我こそ高みで陽を受けんという競い合いはしないでいいからの。
  その代わり、陽の出ている時間がへるのと、
  日輪そのものがあんまり高みに座っておらぬので、
  その身を広げて、
  少しでも多く陽を浴びようとする種が生き残る。」

 「ほわ〜、そうだったんですか。」

大きな双眸を見開く書生くんなのへ、
物も言わぬし歩き回りも出来ぬが、
あれで植物の戦略はなかなかに強かなのだよ、と。
大したもんだろと、
我が手柄のように言ってのけた蛭魔だったものの、

 「ところで、くうはどうしたよ。」
 「あ、えとえっと。」

本性は天狐の皇子という小さな坊や。
人の和子へという変化(へんげ)をしているその下には、
ふっかふかの冬毛をまとっておいでなそのせいか、
少しくらい寒くなった程度では堪えぬらしく。

 「お昼の御膳を食べてから、
  裏山へ飛び出してったということです。」

平安時代って三食だったのかなぁ?
夜中にわざわざの明かりを灯さぬ、
一般の民なんかは1日も短かっただろうから、
どうかすりゃ二食が普通だったかもですが。
育ち盛りさんは、
一度にあんまり食べない代わり、すぐにお腹が空いてしまうため、
おやつ代わりの兼帯食という格好で“お昼”も食べているようで。
賄いのおばさま特製、つくねの串だんごを数本、あぐあぐあぎと頂いてから、

 『もう一遍、遊しょんでくゆのvv』と

元気よくお外へ出掛けてったのだとか。

 「そういや、そろそろ、ものによっちゃあ冬眠の支度って時期だよな。」
 「ものって…。」

この辺りはそうでもないが、
すぐ間際にその勇壮な風景が迫る摂津や丹羽の山々は、
冬場は結構な積雪に覆われる雪深い土地でもあり。
その山麓にあたろう森や林やに住まう生き物たちの中には、
雪が積もればそのまま食べ物に窮するからか、
春までの期間を、
地中や樹の洞などで深く眠ってやり過ごす者も少なくはない。
爬虫類の場合は、
変温動物ゆえ環境へ体温がついていかぬからという、
独自の理由から冬眠に入るのだが、

 「あんの蛇野郎、今年も起きて過ごすらしいぜ。」
 「あ、葉柱さん。」

彼らの会話のどの辺りから聞こえていたものなやら。
裏山へ“もいっかい”遊びに行ってくると、
飛び出してった仔ギツネ様のところからなら、
不機嫌丸だしな彼なのも無理はなく。
雄々しい肢体へまといし狩衣、
颯爽とさばきつつ広間へ上がって来た彼を見上げ、

 「よかったの、同類がおって。」
 「なんでそうなる。」

にんまり笑った術師の青年の言いようへ、
たちまち苦々しいお顔になるものの。
彼もまた“蜥蜴”という蟲妖を束ねる総帥だってのに、
一族にも珍しいという、冬眠をしないでいい体質をなさっておいで。
とはいえ、変わり種なことへと思うところなんて、
別段お持ちではないらしく、

 “むしろ、ボクらが感傷的過ぎるのかもしれないのだけれど。”

だって、お外を吹く風はあまりに素っ気ないのだもの。
どんなに重ね着をしても、朝晩の空気の冷たさには容赦がないし。

 もっともっと暦が進めば、
 もっともっと寒さが厳しい冬が来て。

しんしんと冷える夜陰なぞ、
誰かと身を寄せ合うとか、
せめて一緒に過ごせる相手がいないと、
どうにも遣り切れないだろと思うから。

 “ボクはまだ、人には囲まれていたけれど。”

お師匠様もまた、
この都で台頭なさり始めるほんの直前までは、
独りぼっちも同然で過ごしておられたという。
あの工部の武蔵さんというお人も、
昔からの知り合いではあったらしいが、
向こう様にも修行があったのでそうそう一緒にはいなかったそうだし。
何より…日々を過ごすため、
その身一貫で立ち回るのが忙しかったそうだけれど。

  それでも、あのね?

音もなく雪が降りしきる晩なぞは、
どんな心持ちで過ごされたんだろと、つい思ってしまうものだから。
お師匠様が葉柱さんへそんな言いようをなさるたび、
何か感じ入るものがお在りなんだろなと思えてやまずで。

 「………お。」

そろそろいつもの枯れた風合いが出始めつつある庭の一角、
草むらがかささと揺れたその中から、
一際見事な黄金色のお尻尾をふりふり、
噂をすれば何とやら、小さな影が飛び出して来て。

 「おととしゃま、おやかましゃま、たーへん!」
 「落ち着け、くう。」
 「どうした、あの縄頭が何か悪さしやがったか。」

小さなお手々を延ばしての、たしけてと言わんばかりの様相なのへ、
それぞれが いかにもなお言葉をかけてやれば、

 「ちやうのっ。
  うりゃあま、おかないおじさん来て、皆きゃあきゃあって。」

 「……せなチビ、何て言ってる?」

興奮も交ざってのこと、小さな腕足地団駄させての訴えは、
切実そうなところ以外、大人へは伝わりにくかったのだけれど。

 「裏山におっかない大人が踏み込んでるらしいです。
  皆ってのは、ウサギや小鳥でしょうか、
  大慌てで逃げ惑ってるって言いたいようで。」

 「ほほぉ、性懲りもない。」

都の中と数えるには“場末”という位置にある屋敷の裏山は、
自然の色濃く残る場をと見回すならば、
皮肉にも、逆に 都大路へ最も近い土地とも言えて。
それがため、薬草目当てや小動物目当ての市井の狩人なぞが、
許可なく入り込むこともたまにある。
そういう輩は、人一倍 欲の皮が突っ張らかってるせいか信心が薄く、
蛭魔が張り巡らせている結界のための咒も効力を発揮しないから困りもの。

 「阿含はどうした。奴も結界を張ってるんじゃなかったか。」
 「あぎょんは おりあいに行ってゆの。」

おりあい…ああ、寄り合いなと、
以前にも聞いた舌っ足らずならではな言い回しを、
自己翻訳したおやかま様。
濡れ縁経由で ぴょこたんとひとっ飛びして来てこちらの懐ろへまで、
一気に乗り上がった来たほどに急いている、
瞳もうるうるの仔ギツネさんをよしよしと宥めつつ、

 「よっし、そんじゃあ小鬼退治といこうじゃねぇか。」
 「はいっ!」
 「おいおい、セナ坊ンは留守番していた方が。」

こんな小さい子を怯えさせるなんてと意気盛んな書生くんへ、
無法の輩が相手では、万が一にも怪我を負いかねぬと真っ先に案じたのが、
邪妖である葉柱だってのが穿っているが。

 《 案ずるな。》

空中へその輪郭がにじむようになっての姿現した武神様の、
そのような頼もしいお声がして。
自分が彼の、楯となり矛ともなろうと言いたいのだろうが、

 “…いや、お前が暴れるのもまた、
  周囲への被害が出ぬかと思ったんだがな。”

困った存在だらけなのも相変わらずの、京の都のあばらや屋敷。
秋の深まりにすすけた印象も深まってたはずが、
住まう人々の意気だけならば、今日もこんなにも雄々しいようでございます。




  〜Fine〜  10.11.17.


  *おかしいな。
   くうちゃんも“七五三”の年齢だのどうのという、
   可愛らしいお話にしようと思ってたんですが。
   気がついたら
   “戦闘準備はいいか”なお話になっている不思議。
(苦笑)

   ちなみに、子供の成長を祝う“七五三”は元は関東の風俗で、
   全国のものとして定着したのは、ずんと歴史が進んでから。
   赤ちゃんと同然の紐付きの着物から、帯で絞める着物に変わるとか、
   髪を伸ばして大人同様に結うこととするとか、
   元服に準ずるものが初めという説もあるそうですが、
   そればかりが初めでもない点も多々見られ。
   各地のいろいろな風習が統合されたものというところでしょうか。
   11月の15日という日となったのは、
   五代将軍の長子・徳松の、健やかに育った祝いの祭りを
   その日に催したからだそうです。


 
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